松山和樹 物語

松山和樹 物語 引用https://www.facebook.com/yamagamigym 
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りんごの産地としても有名な青森県北津軽郡板柳町で1986年4月22日に5人兄弟の4人目として生を受ける。
野球人であった父の影響で野球を始め小、中、高校と一貫して野球に没頭し、拓殖大学に野球推薦で入学するが大学一年を過ごしたある日、順風満帆だった生活が一変する。

青森県で建設業を営んでいた屈強な父親がガンに蝕まれている知らせであった。
病院に行った時には、既にガンは全身を駆け巡り余命半年の宣告。

東京に戻った松山がまず行った事は、大学に退学届けを提出すること、仕事を探すことであった。

スポーツジムのインストラクターとして働き一年が過ぎたある日、父親を亡くした松山に知人から、くず餅で有名な和菓子屋「船橋屋」の渡辺雅司社長を紹介して頂き、社員としての待遇で働く事となるが、同時にぼんやりとだがやってみたいと思う事があった。

「ボクシングをやってプロテスト位は受けてみようかな~」

当時は亀田選手と内藤選手の闘いでボクシングに注目が集まっていた時、早速、住まいの近くにあった山上ボクシングジムの門を叩く。
プロテスト合格から試合へと、もれなくボクシングに傾倒していく事となるが、職場の理解もあり、仕事とボクシングの両立ができている。

「闘うくず餅屋 」松山和樹の誕生である。

デビュー戦、2戦目と判定で負けるもその後は6連勝と乗りに乗って迎えた東日本新人王準決勝で負けを喫する。

2012年11月14日、階級を一つ上げて舞い込んだチャンス、日本ランカー 中澤 将信選手との対戦は前半あと一歩という所まで追い込みながらもスタミナ切れで逆に追い込まれTKO負け、続く2013年6月10日、合田 剛士選手との試合は相手の距離に巻き込まれ判定負け。これで3連敗と負け越し後がない状況となった。

次負けたら「引退」・・の文字がよぎる。

しかし、これまで試合をしてきた中で、トレーナーも本人も感じている”ある思い”があった。
「もどかしい」
松山選手の身体能力だけをみても、アスリートととして高いレベルにある。

スパーリングではA級選手と互角に渡り合い、時には超えることも・・・

しかし、こと試合となるとその力が半分も発揮されずに終わってしまう。
「こんなもんじゃないのになぁ~」
口にはしないが試合後に感じていた、ある共通の思いであったが、この3連敗が引き金となったのか、
この後から破竹の4連勝、DANGAN2014年B級トーナメント優勝という栄冠も手に入れ、「らしさ」も徐々に出せるようになってきた。

そんな時、またまたランカー挑戦というチャンスが舞い込む。
2014年12月17日 日本スーパーライト級5位 小竹 雅元選手との対戦。
結果は文句なしの3-0判定で大金星をあげ、日本スーパーライト級の6位にランクインした。

練習復帰後、本人に次戦の相手の希望を聞いたところ、いつも通りの温和な笑顔、自分をあまり前面に出さない松山選手の口からあの3連敗の内の2人の名前が上がった。

「中澤選手と合田選手です。この2人を倒してチャンピオンになりたいです。」

口数少なく温和で照れ屋、コツコツと練習し”リベンジ” を待ち望んでいた「じょっぱり」は、その言葉通り3月24日に合田選手から判定で勝利。
残る中澤選手は現在日本スーパーライト級の暫定チャンピオンである。

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